境内案内図

山門

江戸時代に建てられた山門は茅葺であったが大正12年の関東大震災で倒壊。
昭和27年に再建。旧山門の木材及び彫刻をそのまま使用した部分(欅板の門扉、軒先の象や獅子の彫刻等)もある。

本堂

江戸時代に建てられた本堂は茅葺。大正12年の関東大震災で傾き、5日後に倒壊。昭和2年に木造瓦葺きで再建された。旧本堂の欄間(らんま)の一部(宝暦年間のもの)は堂内に展示してある。令和元年9月の台風の直撃を受け瓦が吹き飛ぶ等の大被害を受けたが令和5年に改修・再建された。

観音堂

現在の観音堂は昭和60年に再建されたもの。堂内には千手観音(江戸後期作)が祀られている。總持院ゆかりの「朝臣(あそん)の坊、観音」の伝統を伝える観音様である。

鐘楼

昭和57年建立。柱や梁のほとんどは欅材を用い、屋根は銅の本瓦葺き。
梵鐘は富山高岡市老子製作所にて人間国宝「香取正彦」指導のもとに作られた



口径3尺(91㎝) 高さ5尺7寸(173㎝)重さ250貫(975㎏)。

鐘楼の北西側の欅柱の眼の高さの位置に木製の蛙の彫刻がある。蛙は語呂合わせで「帰る」となる。海上自衛館山基地、ヘリコプター隊員が海外に派遣された時、関係者家族の母と子が当寺院に参拝、このカエルを撫ぜて「無事カエル」を祈った。總持院には「無事カエル」お守りがある。

本坊

この建物は元々東京の弁護士の別荘であった。それを昭和12年に庫裏として移築したもの。従ってこの建物は、長い廊下のガラス戸、和室のしつらえ等大正時代建物の趣がよく残っている。ガラス戸は大正時代のままのガラスが使われている。

客殿

平成3年に完成した。会議 写経 法話会 法事の後のお斎の席等に使用される。

修行大師

昭和56年に弘法大師御生誕1150年を記念して作られた。

水子地蔵

昭和52年に作られた。人の命は母親の胎内に宿ってから始まる。従って水子供養もおこなわれる。また幼くして亡くなった子供への供養も行う。毎年8月24日、早朝には「地蔵参り」の人達が近郷近在からお参りに訪れる。

清浄苑

観音様のもとで供養される合祀霊園。土地付き・墓石付きの墓地ではなくご遺骨が一瓶ずつ埋葬される霊園。又、墓じまいした後のご先祖様や大切な方のご遺骨もここに埋葬される。希望により既設の墓誌に自費負担でお戒名等を刻むこともできる。お彼岸とお盆には住職による供養が行われる。

心字池

江戸時代に作られた池。元々の地の岩を手掘りで掘り、作られた。庭園の背景の崖に地層もはっきり見える。池の松とヒバは小ぶりだが数百年の老木である。

獣魂供養碑

平成28年、總持院第31世 信秀大和尚が真言宗智山派管長 総本山智積院化主第70世の任期を満了した記念として建てられた。「人間は、全ての生きとし生きる物のいのちを頂いて自分の生命を維持しているその有り難さを忘れてはならない」という信秀和尚の思いを「碑」としている。碑の上の梵字は「大日如来」を表す。