住職挨拶

ようこそ、總持院へ。当山は約千年の歴史と伝統を持つ真言宗智山派のお寺です。

このお寺は昔の安房(あわ)の国、房総半島の南端 現在の千葉県館山市にあります。境内からは東に里見氏居城「館山城」が山内中腹からは「鏡ケ浦」を遠望できます。
静かな境内の散策をしながらしばし日常の喧噪から離れ、自身の影を石畳の上に歩ませてみてはいかがでしょうか。
当山は、穏やかで心和む信仰心を大切にしております。そのような考えで、写経と法話の会を行っております。お寺という非日常の場で、心ゆたかな時を過ごしていただければ幸いです。

總持院 住職 寺田信彦


總持院のご紹介

正式名称獅子吼山 慈眼寺 總持院
(ししくざん じげんじ そうじいん)
住所千葉県 館山市 沼 1139番地
宗派真言宗 智山派
本尊不動明王
縁起 創建 平安時代末期、永長二年(1097年)。
当山の寺伝、及び近隣の国司神社の縁起によれば、安房国司(あわのこくし)源朝臣親元(みなもとのあそん ちかもと)公の夢枕に龍神が現れ、湾内から獅子の形に見える地にお寺を建て阿弥陀如来を祭るようにとのお言葉があり、それに基づいて発願され、この地にお寺を建てた、と言い伝えられている。
 山号「獅子吼」の由来はそこからきている。
 観音堂には「朝臣の坊」の観音様が安置されていたことから、現在でも
「あそんのぼうかんのん」とも言われ、龍神にあやかり辰の歳には安房郡札観音(あわのこおりふだかんのん)の御開帳がある。慈眼は観音経に由来する。
 中世には真言密教の道場として栄え、往時は坊舎が十六棟あり、近郷近在では「沼の大寺」の名で知られた。
現在でも当山はこの名称で呼ばれることが多い。
十六世紀、中興・頼全上人の時代に真言宗、安房十本寺の一つに数えられるようになった。
戦国時代、房州・里見氏の祈願寺となり、里見義康公より十石を賜り、山号も里見(さとみ)にならい「三富(みとみ)山」と称し昭和の時代までその山号を使用していた。終戦後、本来の獅子吼山を称するようになった。なお里見義康公からの黒印付書状(実物)は当山の寺宝として代々受け継がれている。
山容整備史江戸時代になり里見氏の滅亡、明治維新の廃仏毀釈、関東大震災、敗戦後の混乱等で寺領は削減、境内は縮小、往時の面影はなくなった。
大正十二年の関東大震災では本堂が倒壊した。しかしその二年後、中興第三十世・信明代に本堂・庫裏が再建された。その後、第三十一世・信秀の代に客殿及び鐘楼の建立、修行大師像の設置、境内地の拡張・整備がなされた。
平成の時代、第三十二世・信彦により駐車場、新墓地、合祀霊園(清浄苑)の整備や獣魂供養碑の設置等がなされた。
令和元年の台風で本堂や庫裏の屋根瓦が吹き飛ぶなどの被害を受けたが、令和5年、本堂の屋根瓦の全面葺き替え等の修復工事を終え現在に至っている。